奈良と京都の豆知識 奈良コラム 京コラム
奈良コラム 聖徳太子と仏教

氏姓制度や身分にかかわらず才能重視で人材を登用し、天皇中心の政治制度を確立しようとした聖徳太子。こうした太子の考え方は、仏教の教えに多く影響されていました。まだ仏教が日本で広まっていなかったころ、太子はその教えを説くために、寺院を積極的に造り、仏教布教に身を捧げました。その太子の情熱が、奈良を築いたのです。

京コラム 北野天満宮の梅

「東風(こち)吹かば
匂ひ おこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて
春を忘るな」
道真公はこよなく梅を愛されました。そのご縁により、北野天満宮には50種類の梅が約1,500本も植えられています。どんな思いが込められた歌でしょう。

奈良コラム あの鐘を鳴らすのは、だれ

東大寺は平安と戦国時代、2度の火災にあいましたが、現在まで一度も焼失せず残っているのが“鐘”です。毎晩夜8時に鳴らされるこの由緒正しき鐘は、なんとお坊さんではなく「大鐘家」とされる家系によってつかれており、現在は明治時代から続く川邊家が担っています。さすが歴史ある鐘、誰もがつけるわけではありません。

京コラム 葵と菊。なぜ2つの紋がある?

江戸時代に将軍家の拠点だった二条城。お城には徳川家の家紋である葵の紋があちこちに入れられていました。時はながれ、大政奉還により権力が天皇家に戻されると、葵の紋は天皇家の菊の紋に置きかえられます。しかし、最近の調査で、唐門のいくつかの菊の紋の下には葵の紋が残っている事がわかりました。

京コラム 幸運の四葉のクローバー

京都のタクシー会社ヤサカグループのマークは三つ葉のクローバー。ただ1400台のうち4台だけ四葉のクローバーなのだそう。見つけたら願いがかなう!?

京コラム
舞妓さん

京都に行ったら、着物姿が可愛らしい舞妓さんに会ってみたいですね! 踊りやお囃子で場を盛り上げる舞妓さんは、実はまだまだ修業中。 厳しい練習を積んで、一人前の芸妓さんになるのです。中学校を卒業したばかりの女の子が全国から修業にくるそうですよ。祇園周辺には多くの舞妓さんがいるので、運が良ければ遭遇できるかも?

京ことば

長い歴史をもつ京都のことばは、時代や職業によって色々と変化してきたそう。一番に思いつく「~どす」「~やす」などは、いまでは芸妓さんや高齢の方が話すのみ。学生が多い町としても知られる京都では、若い人たちの言葉にも耳をすましてみましょう。同じ関西圏の大阪弁とはすこし違うニュアンスが聞き取れるでしょうか?

京コラム 最古のトイレ?

東福寺には室町時代に設計された日本最古のトイレがあります。仏教寺院に造られたトイレは「東司(とうす)」と呼ばれます。この東福寺の東司はとても大きなもので、幾人もの僧侶たちが利用していました。使い方のルールも厳しく定められていて、トイレも修行の場であったようです。排泄物は畑の肥料として販売され、寺院にとって貴重な現金収入源だったとのこと。

京コラム 下痢に苦しむ石田三成

戦国時代の武将石田三成はお腹が弱かったことで有名。関ヶ原の戦いの最中からお腹をこわし、負けて逃走しているときもひどい下痢に悩まされたと言われています。逃走中には、下痢にきくというニラ粥が振る舞われたそう。もし、その時代に正露丸があったら、日本の歴史も少し違っていたかもしれませんね。三成は大徳寺に葬られています。

京コラム 首が回るお地蔵さま

普通ならば動かないはずの首が、左右に三六〇度回るお地蔵様。清水寺の仁王門の左手にひっそりと建っています。願い事のある方向に首をまわして拝めば願いがかなえられるといわれ、江戸時代から、祇園の芸者さんをはじめたくさんの人々に親しまれてきました。恋する人が居る方向に首を向ければ、恋が叶うかもしれません。

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聖徳太子と仏教

氏姓制度や身分にかかわらず才能重視で人材を登用し、天皇中心の政治制度を確立しようとした聖徳太子。こうした太子の考え方は、仏教の教えに多く影響されていました。まだ仏教が日本で広まっていなかったころ、太子はその教えを説くために、寺院を積極的に造り、仏教布教に身を捧げました。その太子の情熱が、奈良を築いたのです。

あの鐘を鳴らすのは、だれ

東大寺は平安と戦国時代、2度の火災にあいましたが、現在まで一度も焼失せず残っているのが“鐘”です。毎晩夜8時に鳴らされるこの由緒正しき鐘は、なんとお坊さんではなく「大鐘家」とされる家系によってつかれており、現在は明治時代から続く川邊家が担っています。さすが歴史ある鐘、誰もがつけるわけではありません。

舞妓さん

京都に行ったら、着物姿が可愛らしい舞妓さんに会ってみたいですね! 踊りやお囃子で場を盛り上げる舞妓さんは、実はまだまだ修業中。 厳しい練習を積んで、一人前の芸妓さんになるのです。中学校を卒業したばかりの女の子が全国から修業にくるそうですよ。祇園周辺には多くの舞妓さんがいるので、運が良ければ遭遇できるかも?

京ことば

長い歴史をもつ京都のことばは、時代や職業によって色々と変化してきたそう。一番に思いつく「~どす」「~やす」などは、いまでは芸妓さんや高齢の方が話すのみ。学生が多い町としても知られる京都では、若い人たちの言葉にも耳をすましてみましょう。同じ関西圏の大阪弁とはすこし違うニュアンスが聞き取れるでしょうか?

北野天満宮の梅

「東風(こち)吹かば
匂ひ おこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて
春を忘るな」
道真公はこよなく梅を愛されました。そのご縁により、北野天満宮には50種類の梅が約1,500本も植えられています。どんな思いが込められた歌でしょう。

下痢に苦しむ石田三成

戦国時代の武将石田三成はお腹が弱かったことで有名。関ヶ原の戦いの最中からお腹をこわし、負けて逃走しているときもひどい下痢に悩まされたと言われています。逃走中には、下痢にきくというニラ粥が振る舞われたそう。もし、その時代に正露丸があったら、日本の歴史も少し違っていたかもしれませんね。三成は大徳寺に葬られています。

葵と菊。なぜ2つの紋がある?

江戸時代に将軍家の拠点だった二条城。お城には徳川家の家紋である葵の紋があちこちに入れられていました。時はながれ、大政奉還により権力が天皇家に戻されると、葵の紋は天皇家の菊の紋に置きかえられます。しかし、最近の調査で、唐門のいくつかの菊の紋の下には葵の紋が残っている事がわかりました。

幸運の四葉のクローバー

京都のタクシー会社ヤサカグループのマークは三つ葉のクローバー。ただ1400台のうち4台だけ四葉のクローバーなのだそう。見つけたら願いがかなう!?

最古のトイレ?

東福寺には室町時代に設計された日本最古のトイレがあります。仏教寺院に造られたトイレは「東司(とうす)」と呼ばれます。この東福寺の東司はとても大きなもので、幾人もの僧侶たちが利用していました。使い方のルールも厳しく定められていて、トイレも修行の場であったようです。排泄物は畑の肥料として販売され、寺院にとって貴重な現金収入源だったとのこと。

首が回るお地蔵さま

普通ならば動かないはずの首が、左右に三六〇度回るお地蔵様。清水寺の仁王門の左手にひっそりと建っています。願い事のある方向に首をまわして拝めば願いがかなえられるといわれ、江戸時代から、祇園の芸者さんをはじめたくさんの人々に親しまれてきました。恋する人が居る方向に首を向ければ、恋が叶うかもしれません。